竹島(独島)について思うこと
名古屋三菱への訴訟に一般の日本人が大勢加わっていることは嬉しい限りである。
日本軍国主義ファシズムの犯した罪を断罪するのは、何より日本人自身でなければならない。
日本人と韓国人が協力して、こうした運動がますます盛んに行われるように望む次第である。
さて、竹島(独島)について、いろいろ考えを巡らしたが、一つ考えたことがあるので、
再度この場を借りてこの問題を話題にすることをお許し願いたい。
島根大学の内藤先生の研究は、全くその通りだと私も思う。
かつて日本が竹島(独島)を朝鮮領だと認めていたにもかかわらず、日露戦争の必要性
から突然日本領として確保したというのは、納得がいく。
植民地支配の経緯のもとで、竹島(独島)が日本領とされていった過程が理路整然と
示され、これに反論する余地はないように思われる。
この研究成果が一般の日本国民にも知れ渡り、それが日本人の常識となることを願っている。
ところでこの研究は、植民地支配の時代の研究であるが、それ以前の時代の研究はどうなのだろう?
韓国には「トクトヌン ウリタン」という歌があって、その歌詞には、「〜年の〜とい
う文献に独島のことが書いてある」という中世の文献を紹介していると聞く。
その時代のことを私は知りたいのだ。
どちらの国の漁民が最初に竹島(独島)を発見し、どちらの国の文献が最初にこの島の
ことを取り上げ、紹介したのかが知りたい。
このことについて、やはり両国の歴史研究者の間で地道に意見を交換することが必要だ。
もっともっと事実を収集し、収集した事実について両国の研究者が、国益に関係なく
議論することが必要だと思う。
それによって本当の日韓友好が生まれると思うのだ。
ところで気にかかるのは、この問題で日本大使館の前で抗議する元従軍慰安婦のおば
あさん達のことである。
テレビに映ったおばあさん達の顔に悲壮感が漂っていた。
この竹島(独島)の問題に関しては、韓国の実効支配という圧倒的に優位な立場である
にもかかわらず、必死の形相をしていた。
この問題で優位な立場にあるのは、韓国であって日本ではない。
にもかかわらず、日本人ではなく韓国人がデモをしている。
韓国側のほうに余裕の表情がないのだ。
日本側ではなく、韓国側の被害者意識が強いのだ。
いったいどういうことなのだろう?
この原因は、竹島(独島)の問題を、日帝の植民地支配の問題として捉えているからではないだろうか。
従軍慰安婦だったおばあさん達の気持ちは痛いほどよくわかる。
日帝による植民地支配は過酷を極めた。
多くの韓国人愛国人士を処刑し、筆舌に尽くしがたいほどの残虐な行為を行った。
これは厳然たる事実である。
しかし多くの日本人(進歩的日本人であっても)は、竹島(独島)の問題について植民
地支配の問題とは切り離し、純粋に領土問題であると考えている。
だから日本軍国主義ファシズムによる植民地支配を徹底的に批判する日本共産党や、
良心的日本人の代表と言われる社民党でさえも、「竹島は韓国の領土」だとは言わないのだ。
おそらく中世の時代、国や国境という概念が希薄で、竹島(独島)の周辺で、お互いの
漁民が仲良く漁をしていたというのが事実ではないだろうか。
だとすると歴史的に見て、どちらの領土だとも言えないのではないだろうか。
近代になってから国や国境という概念が出来、竹島(独島)はそれぞれの国益という
観点から朝鮮領や日本領として変遷を重ねた。
仲良く漁をしていたのに、突然朝鮮領になり日本の漁民を締め出すのもおかしな話だし、
逆に日本領として朝鮮の漁民を締め出すのもおかしな話だ。
だとすると、今もういちど中世の時代に戻って、仲良く共同管理するという案はどうだろうか?
こうした考えは一般の韓国人には受け入れがたいものなのだろうか?
最近、世宗大学の朴裕河先生が共同管理の提案をしたと聞く。
この意見は、やはり受け入れられないのだろうか?