安重根遺骨埋葬推定地の保存
Kameda Hiroshi 2008/03/12(Wed) 13:27 HP

金正勲さん

 ごぶさたしています。お元気でしょうか。

旧掲示板で安重根と幸徳秋水に関して投稿をした亀田です。

 数日前、韓国の新聞の日本語版にアクセス、下記転載の記事を読み、金正勲さんとの当時の交流を想起し、検索をして

こちらの新しいサイトにたどりつきました。

 【ソウル7日聯合】外交通商部のチョ喜庸(チョ・ヒヨン)報道官は7日、独立運動家・安重根(アン・ジュングン)義士の遺骨が埋葬されているとみられる中国・旅順刑務所の裏山一帯を現状のまま保存するよう、中国側に要請したと明らかにした。現地公館により、同地域の一部で地方政府が開発目的で作業中と確認されたことを受け、外交チャンネルを通じ、中国側に現状保存と韓国の遺骨発掘作業遂行に対する協力を要請したと説明した。チョ報道官は、「韓中関係と安重根義士に対する韓国民の関心を考慮し、中国側がわれわれの要請に積極的に対応してくれるものと期待している」と述べた。

 伊藤博文を暗殺した抗日運動の闘士として知られる安重根義士は、1910年に中国の旅順監獄で絞首刑にされ、近隣に埋葬されたとみられている。

 記事入力 : 2008/03/11

 私は昨年、韓国を二度訪問しました。

11月は「又観先生誕辰111周年、国民文化研究所創立60周年」を記念

した「東アジア自由共同体の未来」ワークショップに招請された訪問でした。

(又観は李丁奎イ・ジョンギュの号、一八九七年生まれ、1916年に慶応大学予科に入る。日本を離れて独立運動に参加、エロシェンコや魯迅と交流があり中国において朝鮮無政府主義者連盟を兄と共に創設、日帝から逮捕され獄中生活も経験する。45年の解放後は教育に携わり成均館大学の総長になる)

 翌12月も訪れ、長崎刑務所で病死をした白貞基の遺族と懇談をし、

金子文子の育った地、芙江を訪れ、ソウルでは仁王山を

歩きました。こちらに画像を数枚アップをしています。

 http://d.hatena.ne.jp/futei/20071216

  仁王山はこちらのブログに画像をアップしています。

http://yamanohon.exblog.jp/7343010/

 また1936年の2月21日に旅順監獄で病死をしたシン・チェホ

(故・梶村秀樹さんは夏目漱石、魯迅と比較をしました)

http://d.hatena.ne.jp/futei/20080221

の起草した「朝鮮革命宣言」を日文では初めて全文を

ブログでアップしました。↓

http://d.hatena.ne.jp/futei/20080101

近況をかねて、ごあいさつとします。

RE:安重根遺骨埋葬推定地の保存
kameda hiroshi 2008/03/14(Fri) 04:51 HP

金正勲さん

 質問には、梶村秀樹さんの文を略さずに転載をするのが一定の答えになると思います。

(伊豆さんの掲示板に2004年9月に投稿引用を私のブログに昨年12月に再引用した全文を転載します)

http://d.hatena.ne.jp/futei/20071222

1970年頃の執筆だと思います。長文の一部ですが漱石に言及している部分の半分くらいを書込みました。

申采浩(シン・チェホ)の啓蒙思想  梶村秀樹

「かれの写真を眺めていると、ふと中国の魯迅と日本の夏目漱石と朝鮮の申采浩という連想が浮んだ。……そういえばよく似ているところがあって、その上似ていないところもあるようだ。……試しに生没年を調べてみると、漱石がちょっと早くて1867年生まれ、申采浩が80年、魯迅は81年、死んだのも漱石がちょっと早くて1916年、申采浩と魯迅は全く同じ1936年である。

 三人とも、ほぼ同じ世代の、状況と自己から目を離さなかった、ほんものの知識人である。

 生活としごとの領域のちがいは、三国それぞれの問題状況のちがいによるものだろう。漱石の生活は少なくとも表面安泰であり、その安泰の中での憂鬱を作品にほぼ昇華させつくして、畳の上で死んだ。魯迅は、半植民地中国の矛盾の焦点である上海で悪戦苦闘しながら、寂寞の中で死んだ。申采浩は、赤貧洗うが如き亡命生活のすえ、八年間もの獄中生活の辛酸をなめ、生命を奪われた。

 

 魯迅と申采浩とは、ともに状況への応接にいとまなく、むしろ多くの時論にその本領の片鱗を示し、ゆっくりと長大な作品に自己の思想を表現しきることなく終った。それでも魯迅には、苦渋の結晶である相当数の短編小説があるのに対し、申采浩はより具体的な歴史学の領域まず精力を傾注せざるをえなかった。ただ、かれが余技のごとくに書き残した数編の短編小説があって、それがやはり奔放な空想をまじえた歴史小説であることが注意をひく。

 この思いつき的な三人の対比が妥当であるかどうかは、比較文学論か何かの専門家にでも、状況的なものと個性的なものとをみわける綿密な検討をこいたい。たしかに申采浩の作品は、文学技法上熟したものではないかもしれない。しごとのジャンルのちがいのために、この対比は、一無理なこととみえるかもしないが、人間的・思想的対比としてそれほど突飛でないような気がしている。いずれにしても、ほかの二人とくらべて、あまりにも不釣合いに、申采浩は日本では読まれていないというべきではないだろうか?」

 梶村さんは朝鮮史の研究者であり、専門的な意味で文学研究に踏み込んだことはなかったのですが、夏目漱石の作品を愛読していたことがうかがわれます。

 「妥当であるかどうか」「突飛でないような」と自問自答をしているように、誠実な歴史研究者の梶村さんとしては、「専門」外に踏み込んだことに躊躇をしながらも申采浩の営為を評価し、日本で「知られて」いないことを嘆いています。

 梶村さんの申采浩に関する論文は三篇しかなく著作集には二篇しか収められていません。漱石に関しての言及が他の論文であったか調べていませんが、テーマとして書いたことはないと思います。したがって引用した部分以上に具体的に記述をしていないのが残念です。

 1989年に54歳での病死が惜しまれますが、健在であれば「比較」研究や申采浩のさらなる研究に進まれたと思います。

紀伊国屋書店のブックウェブでの梶村秀樹著作一覧。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8A%81%91%BA%8FG%8E%F7/list.html

RE:安重根遺骨埋葬推定地の保存
金 正 勲 2008/03/13(Thu) 07:33

 

亀田さん、久し振りですね。

「安重根と門」の時を思い出すと、考え深いものがあります。資料提供に感謝しています。

私も連合ニュースからの報道を見ましたが、現状保存と韓国側による遺骨発掘は必要な条件でしょう。

韓国での活発なご活動にも敬意を表します。

梶村秀樹氏は「かれの写真を眺めていると、ふと中国の魯迅と日本の夏目漱石と朝鮮の申采浩という連想が浮んだ」と発言しているらしいですが、申采浩と漱石を結びつける根拠は何でしょう。「人間的・思想的対比」とは何を意味するでしょう。

 

写真はフリー素材から「百済仏教最初到来地」

           


大運河建設は災い
金 正 勲 2008/03/11(Tue) 08:33

 

                          写真はハンギョレ新聞から

 

3月10日ソウル大学教授381名が李明博政府の大運河建設に反対する記者会見を開いた。これはソウル大学教授の22%の意思で、民主化運動以来初めての集団行動である。

「韓半島大運河建設を反対するソウル大教授会」の記者会見によるものだが、大学博物館で反対意見を明らかにしている教授の名簿を公開したというので、大運河建設に反対する声は市民は勿論、大学社会にも広まっているようだ。

教授らは発表した声明を通じ、「大運河建設は反経済的・反環境的・反文化的であるのみではなく、「実用」という新政府のスローガンが全く通用しないほど、反実用的で時代潮流に逆らう反時代的事業」と規定し、白紙に返すことを要求した。教授らの中には地理教育、生命科学、経済学などの専門家も多く参加しており、色々な視点から考慮しての声明と判断される。

なぜ尖端技術の時代に検証されない無謀な実験を進めようとするのか。どうして経済的妥当性の有無が具体的な資料によって証明されていないのに、強行しようとするのか。国内だけではなく、国外からの冷静な批判も必要な時だと思う。中国からの黄砂に苦しめられる時代を我々は生きているからだ。

 


2013年夏季ユニヴァーシア大会誘致を狙う光州
金 正 勲 2008/03/01(Sat) 08:19

 

          写真は聯合ニュースから   

          

いま光州は、2013年夏季ユニヴァーシア大会を誘致しようとする熱気で燃え上がっている。昨年10月韓国オリンピック委員会が光州を候補都市に決定し、12月韓国政府も最終的に承認したからである。

政府の承認によって、国会を通じ誘致支援費20億オウン、誘致活動のための学術研究費1億5千万ウオンが反映されたそうだが、アジア人権都市と呼ばれる光州がその大会の場所になるかどうかはまだ分らない。

いま光州ではちょうど「アジア文化中心都市」というプロジェクトが進められている。それで、市内の真ん中には政府支援で、「国立アジア文化殿堂」を助成する工事が進行中である。それが完工されるのは2012年。膨大な支援金による工事だが、民主化聖地であるだけにその歴史を記念する建物や独特の文化を紹介する場も設置されそうだ。

ユニヴァーシア大会が決まり、「国立アジア文化殿堂」と国立5・18墓地などを、光州を訪れる皆さんに紹介できれば何よりだろう。

光州市民は4月初に行なわれる予定の実地調査に備え、2月中旬から100万人署名運動に入る。各学校、企業、団体は勿論、空港やデパート、バスターミナルや大型マーケットまで関係者が派遣され、その運動への参加を呼びかけるらしく、その誘致雰囲気と意欲は徐々に高まっている。  

隣の麗水は2012年世界博覧会(www.expo2012.or.kr )の場所として決まったが、はたして光州は2013年夏季ユニヴァーシア大会の開催地になるだろうか。いま光州は熱気で盛り上がっている。

 


小林多喜二
納谷昌宏 2008/02/21(Thu) 09:05

今日2月20日は、小林多喜二が警察に拷問され、殺害されてから75年目にあたる。 

朝日新聞に次のような記事を見つけたので、紹介しておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「蟹工船」重なる現代 小林多喜二、没後75年

 

 今年は作家小林多喜二の没後75年にあたる。代表作『蟹工船』の地獄のような

労働と、ワーキングプアと呼ばれるような現代の貧困労働者との類似性が、最近注

目されている。

 実際の事件をモデルにした小説『蟹工船』は、海上でのカニの缶詰め作業のため、

安い金で集められた貧しい男たちがひどい扱いに怒り、暴力で支配する監督に力を

あわせて立ち向かう様子を描いている。

 若年の貧困労働者問題にとりくむ作家雨宮処凛さんと作家高橋源一郎さんは、先

月、毎日新聞の対談で、『蟹工船』は現在のフリーターと状況が似ているし、学生

たちも共感するという意見で一致していた。

 同じ感想を私も抱く機会があった。没後75周年の記念に、多喜二の母校の小樽

商科大(旧・小樽高商)と千葉県我孫子市にある白樺文学館多喜二ライブラリーが

共催して『蟹工船』感想エッセーを募集した。応募約120件。14歳の中学生や、

中国を中心に海外からもあった。

 小樽商科大の荻野富士夫教授、精神科医の香山リカさん、女子美術大の島村輝教

授、シカゴ大学ノーマ・フィールド教授と一緒に先月、選考に加わったのだ。

 一昨年刊行の『マンガ蟹工船』の助けも借りながらじっくり読み込んだ若者たち

は濃淡あっても現代との共通性を感じていた。

 

貧困労働の現場 共感の声

 大賞は、東京在住の25歳の女性の「2008年の『蟹工船』」。派遣・パート

など多様な働き方が奨励された結果、セクハラも加わって女性の友人たちが住まい

を失ったり、休職に追いこまれたりしている姿を訴える。『蟹工船』の奴隷のよう

な労働者が立ち上がれたのは共有する何かがあったからで、いまは「目に見えない

誰かによって一人一人撃ち殺されている」。一人で労働組合に加入し、サービス残

業代を支払わせた若者のニュースが、「ポスト蟹工船」の物語のような気がすると

結んでいた。

 連絡先不明でネットカフェから応募した一人は、派遣労働者は「生かさず殺さず」

の扱いをうけ、「足場を組んだ高層ビルは 冬の海と同じで 落ちたら助からない」

と書きつけた。

 状況は中国でも似ている。ある中国人学生は「今すばやいスピードで発展してい

る中国では、貧富の差が激しくなり」、父母の苦労をみてきた自分には多喜二の心

境がわかる、と。

 フィールド教授は、ネットカフェからの応募作に、最近のニューヨークの高層ビ

ルでおきた窓洗い作業中の転落事故を連想したと話していた。「窓を洗う方も、窓

の内側で働く方も、いまは蟹工船に乗っているのではないか。ただ負わされている

リスクがちがう」

 多喜二が特高警察の拷問で死んだ2月20日を中心に小樽市や東京などで催しが

ある。今秋には、日米英などの研究者が協力してイギリスで国際シンポジウムもあ

る。グローバル化によって経済格差や若年労働者の問題がどこでも共通する。

 ガラス1枚の隔たりをどう越えるのか。多喜二は、現代に問いかけている。

 

 

RE:小林多喜二
金 正 勲 2008/02/22(Fri) 10:37

 

壷井繁治「二月二十日ー小林多喜二のお母さんへー」

 

小林のお母さん

あなたの息子が殺されてから十二年たちました

あなたの息子が警察につかまって

二十四時間とたたぬうちに殺されたことを知ったとき

僕は牢屋に繋がれていました

(略)

その日からさえ早や九年たちます

この九年間は全く暗闇の時代でありました

あなたの息子や息子の仲間たちが

生命を賭けて逆らった戦争を果てしなく続き

夫を失い、父を奪われ、息子を亡くした人々が街にも村にも次第に数を増し

僕らの美しい国土は焼野原となり

僕らの仲間は離ればなれとなり

僕らの前には到るところ

密偵と銃剣と絶対命令とが立ち塞がり

親と子

夫と妻

親しい仲間で交わされる怒りの言葉さえ

ささやきに代えねばならぬ時代でありました  

                      (一九四八年三月)


南大門が焼失
金 正 勲 2008/02/12(Tue) 08:08

 

写真は「京郷新聞」から

             

 

だれが火をつけたのだろう。旧正月連休の終わり、全ての人は呆気に取られた。

日本人だけではなく、外国人観光客が多く訪れるソウルの象徴、南大門ではないか。

ある目撃者は南大門の2回に上がる一人の男性を目撃したと陳述した。南大門の近くにはソウル駅があるが、駅の周辺で野宿する反社会的人間もいたという。

しかし、南大門に設置された4台の無人カメラには容疑者の姿は映っていない。放送では屋根のもっとも重要な部分に火が付いて、それがあっという間に広まったので、南大門の内部構造をよく知っている人の犯罪かもしれないと発表しているが、あくまで予測に過ぎない。

2006年公開以来南大門はいつも危険に露出されていた。しかし、それに疑問を提起する専門家の声に真剣に耳を傾ける政府関係者や担当者はいなかった。南大門を管理する職員は中区庁からの3人。彼らは午後8時になると退勤し、火災の起りやすい夜には誰一人南大門の警戒に投入される人はいなかった。

事故はいつも油断から起こる。異口同音に南大門の警備はあまりにもルーズと言われてきたのに、なぜ注意を払わなかったのだろう。無人カメラの拡大を要求した警備にも当局は、予算不足を理由にそれを拒否したようだが、文化財を守りたいという精神がまったくない担当者がその部署で勤めているという事実に嘆かずにいられない。

南大門を訪れてくださった外国人の皆さんに申し訳ない。南大門は韓国のものだけではなく、世界の遺跡であったのに、焼失してしまったのである。我々は子孫に何と言っていいだろうか。言い訳はないだろう。

ああ、南大門。ああ、南大門。

 

 

RE:残念無念
金 正 勲 2008/02/15(Fri) 08:54

  

                        写真はOHMYNEWSから 

                            

  

韓国でも日本の金閣寺再建を教訓にし、南大門復旧に最善を尽くすという雰囲気だ。

この際に日本の言論、特に朝日新聞が社説を出し、「そうした建物の修復や防災対策に隣人として協力できることはないだろうか」と述べている。暖かい心遣いに感謝する。

韓国も京都の「文化財レスキュー体制」や奈良の文化財保安官が消防と協力するシステムを導入しなければならないと思う。

私は関西に滞留していた当時、気晴らしに京都や奈良に行って、日本の古い文化財を見るたびに、よく管理しているなと感嘆したことがある。何年か前には大阪城を綺麗に整備する作業を行なっていた現場を目撃し驚いた。

いま韓国では南大門焼失の件で、文化財庁とソウルの中区庁、そして消防署が相手に責任を負わせることに懸命である。本当に情けないと思わざるをえない。今回の放火事件を反省し、対策を講じなければならない時点にも拘わらず、いったい何を考えているのだろう。これで新羅、百済、高句麗の文化を日本に伝播したといえるだろうか。

文化遺跡一つ守れないくせに、相手に責任を転嫁することに血眼になっているそれぞれの当局を見て、国民の憤怒は燃え立つに違いない。

いまはどうすれば、文化財や歴史遺跡をよく守れるか、如何にすれば我らの歴史を破壊せず、そのまま子孫に譲るか苦悩し、力を合わせる時期ではないか。

「韓国にも参考になるだろう」という指摘に耳を傾ける必要があるだろう。

「隣国の悲しみに思いを寄せ、歴史遺産の修復や保護に協力できれば、日韓の溝を埋めることにも役立つに違いない」という心のこもった言葉に、隣国の意味を再度噛み締めたいものである。

 

 

残念無念
納谷昌宏 2008/02/15(Fri) 01:01

ソウルの南大門が焼失してしまった。

貴重な歴史の遺産が失われてしまった。

残念、無念である。

この門は、1392年に建立され、その後数多くの歴史を見守ってきた。

豊臣秀吉の朝鮮侵略、日帝36年、そして朝鮮戦争にも耐えて生き残ってきた。

にもかかわらず、この平和な時代に、一夜にして焼けてしまった。

なんということであろうか・・・。

 

今朝の朝日新聞の社説を引用し、哀悼の気持ちを表したいと思う。

 

朝日新聞2008年2月14日社説より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 南大門炎上韓国の悲しみを思う。

  

かつて、こんな社説があった。

 「祖先からうけついだよき遺産は、決して現代人の専有物ではない」

 「国民も国会も政府も、文化国家としての自己の姿を、もう一度直視する必要があろう」

 1950年7月3日、「国宝を焼く」と題した朝日新聞の社説である。

 前日、京都の金閣寺が若い学僧の放火で全焼した。そののち、この事件を素材に三島由紀夫

や水上勉が小説を書くことになる。当時の日本人にとって、実に衝撃的な出来事だった。

 こんなことを思い出したのはほかでもない。韓国の国宝第1号で、ソウルの正門として日本人

観光客にもなじみの深かった南大門が放火で全焼したからだ。

 金閣寺と南大門はともに14世紀末にできた木造建築だ。幾多の戦乱を乗り越えて生き延びて

きた点も似ている。今回の炎上を目の当たりにしたソウル市民が「子孫に顔向けできない」と嘆

く姿を見ると、とてもひとごととは思えない。

 南大門は日韓のさまざまな歴史を見つめてきた建物でもある。

 16世紀、豊臣秀吉軍が朝鮮を侵略し、首都の王宮が焼失した。その際、加藤清正らが南大門

から攻め込み、東大門からは小西行長らが入った。

 1910年の韓国併合後、日本は王宮を覆い隠すように朝鮮総督府の大きな庁舎を建て、権勢

をほしいままにした。

 それでも残った南大門である。修復を繰り返したとはいえ、この巨大な門を見上げると、苦い

記憶も含めて、いや応なく過去の日韓のかかわりを思い起こさざるをえなかった。

 そうした建物の修復や防災対策に隣人として協力できることはないだろうか。

 韓国はただちに復元の準備に取りかかるだろう。日本にも木造建築の修復技術などがある。

知恵を貸す余地があるかもしれない。

 南大門に限らず、韓国では最近、文化財の火災が相次いでいる。放火も少なくない。その反省

も広がっている。

 今回、消防と文化財庁の連携の悪さ、消防士の文化財建築への理解の乏しさが被害を広げたよ

うだ。李明博・次期大統領がソウル市長時代に門の周りを市民広場として整備したのに、防災・

防犯の面は手薄だった。

 日本では、金閣寺が放火された前年に法隆寺の壁画が焼失したことをきっかけに文化財保護法

ができ、自治体レベルでも様々な取り組みを重ねてきた。

 例えば、京都市消防局予防部には文化財係が置かれ、市民や社寺の連携で「文化財レスキュー

体制」ができている。奈良では、県警の文化財保安官が各地の消防と協力して文化財の防犯や防

災に目を光らせている。こうした試みは、韓国にも参考になるだろう。

 隣国の悲しみに思いを寄せ、歴史遺産の修復や保護に協力できれば、日韓の溝を埋めることに

も役立つに違いない。

 

 


お名前*
Eメール
タイトル*
本文*
ホームページ
編集キー * メッセージを編集・削除するのに使います
画像