写真は「朝鮮日報」から

カリキュラムは、学問の専門家である学科教授らによって作られるべきものではないか。
学長が勝手に調節するものでもなければ、教務部長や学科主任が単独で決めるものでもなかろう。
しかし、これが新入生問題と絡んで守れず、色々利用される場合さえある。
学生を多年教えてきた立場でなければ、学生の気持ちを理解するカリキュラムは作ることが出来ない。
学校経営とは教権を侵害することではなければ、カリキュラムを作ることでもない。
経営と教育は区分されなければならない。
学生の多様性こそ、高等教育機関である大学に必要条件である。
なぜ一つの科目を必修として決め、それを履修することを卒業の前提にするのだろう。
その科目が嫌いな学生には致命傷ではないか。
全ての学生が同じ進路を選択するわけではない。
必須といえども様々な科目があり、その中で一つを選ぶような権利を与えなければならない。
学生の才能や素質を一方的に画一化し、進路を制御するのは学生の人権を抹殺することに違いない。
定員確保の出来ない要因にそのような無理押しの教育が考えられるのに、それに気付かず一方通行の制度を強要することに問題の深刻性があると思う。
決して左翼的な思考を強調するのではない。
人間の思考は時には左翼的で、時には右翼的な傾向を内在していると思う。
右翼にも左翼にも傾けない人間中心教育をなぜ実行しないだろう。
人間性教育とは国家と団体より、個性や多様性、自由や民主などの価値を優先する全人教育を意味するものであろう。
日本の大学の例から韓国の大学の状況が見えてくる。
日本の大学教育の現実から韓国の大学教育の実像も見えてくる。