「慰安婦決議案」通過の意味
金 正 勲 2007/06/28(Thu) 15:51
写真はハンギョレから
人間は他人を暴力で支配し、その人の自由と人権を抹殺する権利はない。
いや、人間には他人の権利と自由を尊重する義務がある。
今も強制的に動員された軍慰安婦や米軍の虐待から肉体的、精神的被害を受けたイラク女性が如何に精神的苦痛に悩んでいるか言葉で表現できない。
 
アメリカの下院外交委員会が「日本軍慰安婦決議案」を賛成32、反対2という圧倒的な差で通過させたのも、他人の自由を暴力で制圧することが如何に非人間的なことであるかを確実に指し示している。
 
決議案は「公式声明を通じ日本政府は謝罪し、従来に発表した声明の真実に対する疑惑を解消すると同時に、日本軍が慰安婦を性的奴隷にし人身売買をした事実がないと訴える如何なる主張に対しても、はっきり公開的に反駁しなければならない」と公表したが、もっともな判断だと思う。
 
「光州世界女性平和フォーラム」に参加した土井多賀子氏も「日本は慰安婦問題を真率に受け入れるとき国際社会で肯定的な役割を任じることができる」と述べ、「現政府は過去の歴史を認めるのに、むしろ後退し」、「韓日女性は慰安婦問題で密接に協調しているのだが、この関係は未来のための大事な礎石になる」と強調した。
 
隠そうとすればするほど嘘はばれる。
そして嘘はまた嘘を生むに違いない。
米決議案は「日本政府は現世代と未来世代を対象にこのような惨たらしい犯罪に対する
教育をしなければならない」と強調したが、真実はそうすることによってはじめて見えてくるだろう。
 
今回の決定は歴史教育のあり方を的確につき、「美」は綺麗に偽装することからではなく、真実を率直に明かすことから得られるという不変の真理を教えてくれたものではないか。
安部総理は「アメリカ議会の多くの決議案中一つ」、塩崎官房長官は「他国の議会が決定したこと」で、「政府としては言及する事案ではない」と述べているようだが、客観的視点からの決議案であり、世界の人々は日本政府がそれを受け入れることを心から望んでいる。
 
RE:「慰安婦決議案」通過の意味
金 正 勲 2007/06/28(Thu) 16:39

  

 写真はNEWSISから

しかし、慰安婦問題とは別に韓日交流は着々と進行している。

昨日大島正太郎新日本大使は全羅南道を訪れた。全羅南道と日本地域との交流拡大などについて歓談をするための訪問であった。

いくら赴任の挨拶がてらの訪問といえども、日本大使が韓国の南部まで足を運んで、知事と話し合うのは異例なことである。韓国の全羅南道知事は世界博覧会機構に参加した結果を日本大使に述べ、2012年麗水世界博覧会誘致のため、日本政府の積極的な支援を要請したそうだが、このようにして韓日友好は深まるに違いない。

知事と大島大使が色々深く論議したのは当然で、日本のどの地域と全羅南道が縁を結ぶか具体的な地名まで言及されたのではなかろうか。

過去の辛い歴史を共有している両国だが、それを隠さず、また美化せず真実として受け入れ、新世代に教訓として教育し、世界平和と両国の未来のために活かす必要があると思う。

その意味からいえば、平和と民主、そして抗争の地域全羅南道と日本との交流は格別な意味を持つものであろう。

 


歴史に真面目に向き合うこと
納谷昌宏 2007/06/23(Sat) 17:01


日本の文部科学省は、韓国、中国の人々だけではなく、沖縄の人々まで裏切るつもりか。
真面目に歴史に向き合うことが必要だ。

2007年6月23日 朝日新聞社説より
…………………………………………

沖縄慰霊の日 ―集団自決に見る軍の非情

沖縄は23日、「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的な
抵抗が終わった日である。

今年の慰霊の日は、昨年までとは趣が異なる。沖縄戦で犠牲になった人たちを悼むこと
にとどまらない。沖縄戦とは何だったのかを改めて考えようという動きが広がっている
のだ。

きっかけは、「集団自決」についての教科書検定である。文部科学省が「日本軍に強いら
れた」という趣旨の記述を削らせた。軍の強制を否定する資料が出てきたというのだ。

沖縄では一斉に反発が起きた。各地の市町村議会に続き、県議会でも検定の撤回を求め
る意見書が全会一致で可決された。意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかっ
た」と主張する。

保守、革新を問わず、憤ったのはなぜか。集団自決が日本軍に強いられたものであるこ
とは、沖縄では疑いようのない事実とされてきたからだろう。

集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)諸島だ。慶良間諸
島だけで犠牲者は700人にのぼる。

多くの悲惨な証言がある。例えば、元沖縄キリスト教短大学長の金城重明さん(78)
は集団自決の現場で、手投げ弾が配られるのを見た。手投げ弾は自分にまで回ってこ
ず、母と弟妹を自ら手にかけて殺した。「手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語る。

集団自決に直接かかわった人たちだけではない。沖縄の人たちが「集団自決は日本軍に
強いられたものだ」と口をそろえるには理由がある。

沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。
足腰さえ立てば住民を一人残らず動員し、生死を共にさせようというのだ。

子どもから老人まで駆り出された住民は、食糧や弾薬の運搬などだけでなく、戦闘員と
して敵に突入を命じられた。

陣地の構築にも動員されたため、住民は軍事機密である日本軍の配置まで知ることにな
った。そこで日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみ
なして射殺する」と警告し、実行していった。

一方で、「鬼畜米英」軍に捕らえられたら、女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺さ
れる。日本軍はそう住民に信じ込ませた。

迫りくる「鬼畜」の敵軍。背後には投降を許さない日本軍。そうした異常な状態が集団
自決をもたらしたのだ。

沖縄戦の3カ月の犠牲者は20万人を超える。本土から来た兵士より住民の犠牲の方が
多かった。日本軍の任務は本土決戦の時間をかせぐため、米軍をできるだけ長く沖縄に
足止めすることだった。

沖縄の人たちは「捨て石」にされ、根こそぎ動員されて日本軍と一緒に戦い、そこで集
団自決が起きた。いまさら「日本軍は無関係」と言うのなら、それは沖縄をもう一度裏
切ることになる。

RE:歴史に真面目に向き合え!
金 正 勲 2007/06/24(Sun) 01:13
写真はハンギョレ新聞から
 
沖縄では方言で穴をガマと言うらしい。
チビチリガマやシムクガマという言葉を聞いたことはあるが、ほかにもガマはだいぶあるだろう。
 
ところでこのガマに様々な思いがあるようだ。
沖縄住民にとってこのガマは昔から農作業を終わって、そこに集まり休憩をするだけではなく、宴会を開くなど共同生活の場としても利用されたと伝えられている。
 
しかし、戦争末期、このガマで住民が集団自決をしたという頼りに接すると、何だか哀れな物語を聞いているようで、胸がちくちく痛む。
 
当時自分の命を捨てた人は勿論、生きていた人にとっても生きることの悲哀がどのようなものであったか実感せずにはいられなかったのではないか。
「慰霊の日」を迎え、当時家族を亡くし、戦争が残した悔恨の思いで涙ぐむ住民がいるだろうと思うと、悲惨な感じさえするのだ。
 
それなのに、「日本軍に強いられた」という文章を削らせた意図は一体どこにあるだろうか。
「軍の強制を否定する資料が出てきた」という口実を立てているらしいが、いつもそのような決まりのパタンなのか。
 
例えば下嶋哲朗『沖縄・チビチリガマの集団自決』(「岩波ブックレットNO.246」岩波書店、1992)には当時日本軍の実態を明らかにした次のような文章がある。
 
戦争も終盤に近い1945年4月1日のことです。(略)
日本軍はアメリカ軍の上陸を、事前に察知していたにもかかわらずその直前、読谷村に配置した部隊を、南部方面へ引き揚げてしまいました。これは「敵を海岸線で迎え撃つと味方の損害が大きい。内陸部へおびき寄せ、沖縄県民をまき込み総力をあげて消耗戦を行なう。それによって、敵の日本本土への上陸を1日でも遅らせる」日本軍の作戦でした。
 日本軍に置き去りにされた読谷村住民は、絶望しながら多数死にました。しかし、それはほんの一部分にすぎません。日本軍に組み込まれた沖縄に民衆は、南部の戦いでその数が今なお確認不能なほど多数死にました沖縄戦は、軍隊は軍隊自身を守るためにあり、民衆を守るためではない、という軍隊の論理をあからさまに照明して見せたのです。
 
これは「日本軍に強いられた」確実な根拠ではないか。
このように戦争は恐ろしいものである。
 
日本の近代作家小林多喜二はその戦争の恐怖が民衆にどのような影響を及ぼすか、その内実がはっきり分る作家であっただろう。
多喜二はその戦争と国家権力に反対し激烈に闘争したため、高等警察に捕まえ、拷問で殺害された。
 
最近多喜二を読んでいるが、彼が戦争に反対したからと言って、ただそれだけを持って彼を評価するわけではない。多喜二はだれより貧困な人々に対する理解と暖かい配慮の心を抱いていた作家であったと思う。
 
例えば「党生活者」で多喜二は、自分の生活全てを犠牲にし闘争した地下生活者の犠牲も、労働者農民が毎日生活しながら払っている犠牲に比べると、大したものではないというようなことを述べている。そして、それは20年間農民で苦労してきた父母の生活からすぐ分る。だから自分の犠牲も何百万人の巨大な犠牲を解放するための不可欠な犠牲だと付け加えている。
 
しかしあいにくこれは結局多喜二自分のことになってしまう。
彼は予めそれを「党生活者」に断って、その「不可欠な犠牲」を実践していくわけだが ここに多喜二の死の意味と今日に蘇る作家精神が共存すると思われる。
 
戦争と天皇制国家権力に激しく抵抗し逝去した革命戦士多喜二の闘争の根源には、そのような父母への愛、労働者農民や疎外された人々への人間味溢れる配慮と同情があった。
その点を想起すると、青年時代に生を終えた彼の死が惜しくて堪らない。
 
多喜二時代の戦争と沖縄集団自決時代の戦争は勿論その内実が違う。
しかし、戦争が如何に人間性を抹殺し、全てを犠牲にさせるか改めて強調しなくても理解できるだろう。
 
戦争に国家権力と軍の介入を切り離して考えることはできない。
だから多喜二もそれと闘い続けていたのではないか。
「日本軍に強いられた」沖縄住民の過去。
現代にも悲劇は続いている。
それを否定し、歴史を歪曲しようとする非道徳的右翼によって。

転倒する韓日交流の行路
金 正 勲 2007/06/06(Wed) 14:29

 

写真はNEWSISから


 

「全州JAPANWEEK」がこちら光州から1時間離れている全州で5月17日から27日まで開かれ、成功に閉幕したという。

光州は全羅南道、全州は全南北道の中心都市であるが、そのうち日本との交流がそれほど活発ではなかった韓国の南部でそのような行事が行なわれたのは非常に意味深いことだと思う。

振り返れば日本との交流は、主にソウルやブサンで行なわれてきた。実はこちらでは交流に参加したくても経済的な問題から、あるいは交通が不便で参加を諦める人が多かった。一方、そのような理由で日本人観光客も南部までは足を運ばず、ホテルなどの宿泊施設もなく、観光客へのサービスも改善されないまま、南部地域は悪循環の連続であった。

国際社会というのに人口100万を越える都市に特急ホテル一つない。プサンから光州までの航空便は途切れ、プサンを経由し光州や全州に入りたくても遠回りをしなければならず、観光客は他の地域を選択するしかない。光州の金大中コンベンションセンタでノベル平和賞受賞者会議が開催されるなど、一カ月に一回ぐらいは国際行事が予定されているにも主催側や市ではその準備に全力を尽くしているという話はあまり聞いたことがない。

幸い今年11月に全羅南道務安に国際空港がオープンすることになり、日本企業と輸出 ・ 輸入契約を結ぶなど、日本との協力に拍車をかけているようだ。しかし、それは足元に火が付いていることと全く同じで、当局では未来を向けての展望に立って着実に交流を実行していこうとする様子が見られなく、憂えざるを得ない。これで国際社会に備えるといえるだろうか。

このような状況中、「全州JAPANWEEK」が成功に終わったと言われているので、意外な感じもするわけだが、そのニュースに改めて希望を抱いてみたくなるのだ。

行事は日本大使の講演、日本伝統美術展示会、公演など色々な形で市民の参加を誘導しながら各地域で行なわれたという。全州伝統文化センタでは和紙で日本人形を作る行事や和太鼓松村組の熱情を込めた公演が続き、全州大学では岩永善信のギター独奏会が開かれ、観衆の脚光を浴びたそうだ。そして日本留学と日本企業への就職説明会も用意され、あちこちにお祭りの雰囲気が漂っていたようである。

この雰囲気を生かし、今年10月ソウル予定の「韓日祝祭2007」の主催側は全州市の参加を呼びかけているのだが、そういう風に韓日友好は深まっていくに違いない。今朝の新聞には「全州に日本人観光客が増え、全州観光を商品化し企画、販売しようとする旅行者代表と商品企画担当者の訪問がだいぶ増加している」(世界日報)という報道もあった。

そういえば昔から全州は韓国伝統家屋(韓屋)の都市である。先月「ツアーJAPAN」の関係者と「日本トラベル世界」の代表が全州を訪れ、韓国伝統家屋の地域を見回った後、日本人観光客を募集し、正式に観光に来ると約束したことは一理ある話だろう。それにANA航空の商品助成チームとその会社の雑誌チームも全州訪問の日程を組んでいるだけでなく、静岡国際交流会も文化芸術をテーマにする観光団を構成するというのだから、まさに国際時代を迎え、韓日交流は南部地域でもずんずん進行しているわけである。

問題は全州を訪問した観光客がお隣の光州まで足を伸ばすかという点だが、工事中の高速道路が完成すると、務安国際空港は光州から25分の距離で、韓国南部に全州から光州、光州から務安という三角の要衝地が形成されることとなる。これこそ昔の百済文化をありのまま日本人に再現して見せる絶好のチャンスではないだろうか。

今韓日交流の船は巡航している。その船は国家主義という岩礁に引っ掛かることもなく、右傾化という波風に引っくり返ることもなく、韓国の中部から南部へ思う通り進んでいくだろう。

 


マルクス・エンゲルスに聞いてみたい
納谷昌宏 2007/06/03(Sun) 23:53

 青森県深浦町の漁港に2日、小型船で脱北者とみられる男女4人が漂着。
県警の調べに対し「万景峰号が行き来する日本の新潟を目指した」と話して
いることが3日、分かった。また「北朝鮮には人権がない」とも供述。県警
は4人を五所川原署で保護し、引き続き不法入国の経緯などについて事情を
聴いている。(時事通信)
…………………………………………

青森県に脱北者とみられる人たちが漂着したそうだ。そして「北朝鮮には人
権がない」と話しているそうだ。本当に北朝鮮には人権がないのだろうか?

もう25年以上前の話であるが、いわゆる日本のリベラル派は、日本社会党
か日本共産党を支持していた。日本共産党は北朝鮮を批判していたが、日本
社会党は朝鮮労働党と友好関係にあった。
当時、日本社会党は自民党に次ぐ勢力を誇っており、いわば日本人の3人に
1人は韓国ではなく、北朝鮮を支持していたと言ってもよい。
確かに当時の韓国は軍事独裁政権であり、多くの民主人士がKCIAに捕ら
えられ、拷問されていた。在日の徐勝、徐俊植事件、早川・太刀川事件など、
連日ニュースになっていた。当時、雑誌「世界」でTKというペンネームの
人(この人は後、池明観氏だとわかった)が執筆する「韓国からの通信」を
読み、韓国の人権抑圧状況に胸を痛める日本人も多かった。韓国は「悪い国」、
北朝鮮は「善い国」だという徹底したイメージがあったのである。そして皆、
それが正しいと思っていた。

平壌学生少年芸術団の日本公演の際には、日本社会党だけではなく、多くの
労働組合の人たちが歓迎行事に参加し、NHKでも大々的に取り上げた。
日教組の人たちの中には、自主(チュチェ)思想研究会という勉強会も組織
された。当時、関西学院大学の法学部のフランス語の先生もこの研究会に所
属し、自分のゼミの学生にチュチェ思想を勉強させていた。これが正しいこ
とだと、皆思っていたのだ。

ところが今やどうだろうか!韓国は民主化を達成し、韓流ドラマなどを通し
て、最高に良いイメージの国になった。これに対して北朝鮮は、拉致問題が
明るみに出て、イメージは最悪になった。

今や日本社会党の得票数は最低だ。北朝鮮を支持してきたからである。
それとともに、リベラル派が主張する反靖国の意見も沈下してしまった。
韓国の軍事独裁政権を支持し、北朝鮮を敵視してきた自民党の人気は、うな
ぎ上りだ。そして靖国参拝支持など右翼の主張が、堂々とまかり通るように
なってしまった。

日本のリベラル派は、これからどのようにすればよいのだろうか?
確かに反省すべき点はたくさんある。
北朝鮮がどのような国かも知らずに、盲目的に支持してきた。
そもそも社会主義の国なのに、世襲が行われるというのは、おかしなことで
ある。計画経済がうまく機能しないのは、ソ連の崩壊を見ても明らかである。
市場メカニズムの替わりに、計画経済を導入した場合、経済活動に係わるモ
チベーションを何に求めるか?
北朝鮮の場合、金日成、金正日というカリスマ的な人物を創り上げ、彼らに
対する忠誠という形で、経済活動を活発化させたかったのだろう。しかしこ
の方法は、まるで戦前の日本の天皇制と同じではないのか!

あれは本当の共産主義ではないという人たちがいる。
本当の共産主義は、民主主義がさらに進化したものであり、人権抑圧のない
自由と平等の世界が実現されていなければならないはずだと言うのだ。

ところが今の北朝鮮の状況はどうか…。
アムネスティインターナショナルによると、北朝鮮の政治犯は20〜30万
人もおり、今も監獄に収容されたり、強制労働など、深刻な人権抑圧状況に
あるという。本当だったら、大変なことである。

だからといって、アメリカや日本の右翼が主張するように、北朝鮮を軍事力
で崩壊させるのは、絶対反対である。一般民衆に及ぼす被害がとてつもなく
大きいし、戦争になったら双方ともに相当数の死者が出るのは確実である。
結局、今の韓国政府の太陽政策が最も穏当な方法であろう。
徐々に北朝鮮に変化を促し、民主化を進めるしかない。

カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスは、自分たちの理論が人類解
放の理論だと信じていたはずである。まさか北朝鮮のような国を生み出すこ
とになるとは、夢にも思ってもいなかったはずである。
あれは、やはり偽の共産主義なのか?
マルクス、エンゲルスが生きていたら、ぜひ彼らの意見を聞いてみたいもの
である。

 

 

RE:マルクス・エンゲルスに聞いてみたい
金 正 勲 2007/06/05(Tue) 09:13
ご投稿ありがとうございます。
北朝鮮の現状とマルクス思想とはだいぶ掛け離れていると思います。
 
北朝鮮の金日成は抗日運動をしたとはいえ、主体思想で絶対権力を維持しようとした。
ところがそれを息子の金正日も引き続き真似ている。
 
時代と環境が変わると、統治理念も変わるのが普通ですが、北朝鮮は主体思想ばかりを強調していて、それが国家発展には繋がらなく、同じ民族としても残念に思います。
 
しかし、だといって北朝鮮との対話をやめる訳にはいきません。
北朝鮮も太陽政策で知らず知らず変わりつつあると思います。
 
色々な問題が解決されてはいないですが、北米関係が少しずつ進展する背後には太陽政策でアメリカを説得する韓国側の努力も働いているのではないでしょうか。
 
南北問題や国際問題については私の意見を「南北関係・国際問題など」のところに書いておきましたので、一読していただければ幸いです。

平岩外四の死と平和
金 正 勲 2007/05/28(Mon) 23:44

                                                                      写真は東亜日報から

元日本経団連会長平岩外四氏が他界されたという。何より小泉前総理の靖国神社参拝を批判したのは勿論、日本社会の右傾化を慨嘆し、経済に国家主義論理を導入することに一貫して抵抗してきた人物として知られているのであり、心から彼の死を惜しまざるをえない。

彼は第二次世界大戦に参戦し、117人の中7人が生存した激戦地の戦闘で、その7人に含まれ無事に帰還した財界の巨頭として伝えられている。ところがそのような経験が彼に戦争の恐怖や平和の大事さを教えてくれたに違いない。

戦争を経験した人間は戦争の怖さが分る。いや、戦争を経験しない人間でも戦争の痕跡で言葉では形容できない苦痛の日々を過ごしているなら、その怖さが分るはずである。

私は韓国戦争を経験していない世代だが、その戦争で如何に周辺が過酷な試練に陥っているか目前に目撃している。分断の悲劇で家族と別れ、寂しい生活をしている離散家族はテレビ画面からだけではなく、韓国のどこに行ってもすぐ見かける。兄は北に弟は南に住んでいて、兄の近況が知りたく日本の知り合いを通じ、一通の手紙を北にいる兄に送った弟が国家保安法違反という罪名で、逆境に処される例もあるからだ。

何より国土が二つに分かれ、民族同質性が回復していない今日、南北には戦争が残した残酷な運命に耐えられない苦しみを覚える多くの人がいる。行きたいところへ行けず、会いたい人に会えない状態が如何に人間を不自由にさせ、空虚さを同伴し自らを抑圧するか、その運命を背負っていない人にはその辛さが理解できないだろう。

漱石はすでに一世紀前そのような戦争の悲劇を肌で感じていた。彼の小品には自分の仕事が戦争のため支障を招いたとき正面からそれに立ち向かう言説で爆発する場面もある。その裏に戦争に対する痛烈な批判が込められているのは当然である。

たとえば、ケーベル先生との「告別の辞」を書き新聞社に送ったのに、ケーベルがまだ日本を離れず、「横浜のロシアの総領事のもとに泊まって」いるのを惜しみながら「日本を去ることのできないのは、まったく今度の戦争のためと思われる。したがって私にこの正誤を書かせるのもその戦争である。つまり戦争が正直な二人嘘吐きにしたのだといわなければならない」と述べている。そして校正のことについても「戦争の罪」という言説を用いているのだ。

今から考えても漱石の内面に潜む戦争への抑圧が十分感じられるのだが、戦争の可能性を恐れ「悲惨に死んでいったその多くの若者が靖国神社にいるだろうとは思わない」と信じて靖国神社に行かなかった平岩外四氏の脳裏にも「戦争の罪」なるものがはっきり刻み込まれていたのかもしれない。

しかし、不幸にも今日本は一世紀前の軍国主義を思わせるような政策を着々と進行している。5月14日日本参議院では憲法改正のための国民投票法が通過した。安部政権は「戦後体制からの脱却」を主張しているらしいが、最近愛国心を強調し国民に国家主義を強要する一連の計画と、それを実行する露骨な態度からむしろ「戦後体制への復帰」という言葉を思い出さずにはいられない。

はたして平和憲法の改正は日本が軍事大国になり、他国を二度と侵略しないという前提の上に成立するものであるだろうか。憲法9条の一項は維持しながらも、戦力を保有し交戦権を取り戻すというのだが、どこにも戦争防止の保障を誓う文書や条約などは見られない。自衛隊を攻撃的な体制に変え、世界のどこでも戦争を目的に日本軍を投入することを宣言する意味にほかならないのだ。

そもそも元総理中曽根康弘が前面に登場するわけが理解できない。彼は自分が会長として務めている「新憲法制定議員同盟」を通じ、憲法改正の国民運動を展開するという意思を明白にしているようだ。しかし、それが認められる日本政治界はあまりにも惰弱だとしかいいようがない。日本はさらに保守化してしまうだろうか。

今日も松岡利勝農林水産相が自殺するなど、日本では一刻も目を離せない事件が起っている。はたして韓日関係はどうなるだろうか。アジアの平和は期待できるだろうか。

韓国は今年例年より早くもう初夏が訪れて来た。韓国と日本がより仲よい関係になるよう願いながら再び平岩外四氏のご冥福を祈りたい。

 


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