今度の伊豆利彦「日々通信」は、韓国での講演について触れたもので、非常に意味深い内容なので、ここに全文をそのまま転載しておきます。
第268号 韓国訪問
>日々通信 いまを生きる 第268号 2007年10月23日<
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu
韓国訪問
10月12日、羽田から韓国の金浦空港へ飛び、金正勲さんの出迎えを受けて、国内線で光州空港へ乗り継いだ。光州へ行く飛行機は30分出発がおくれ、待ち合わせ時間が2時間半もあるので、どうして時間潰しをしようかとおもったが、その心配は無用だった。久しぶりに逢った金さんと話に熱中しているうちにあっと言う間に過ぎて、危なく搭乗手続が間に合わなくなるところだった。
10月13日、光州のホテルから全州市の全州大学まで、約60キロを金さんの車で行った。教職員食堂で韓国日本語文学会の会長、前会長などと食事をともにし、歓談した。お会いした方はみなさん日本に留学されて、それぞれにプロレタリア文学に関心を持っておられた。
午後は学会の総会があり、その後2時から私の講演だった。聴衆は100名くらい、司会の紹介は私のホームページなども参照したていねいなものだった。
講演の趣旨は前回の「通信」に記したが、日本の帝国主義の基盤は労仂者・貧農に対する苛酷な搾取、<虐使>であり、土地をうばわれて日本に流入してきた朝鮮人労働者はさらに苛酷な取り扱いを受けた。北海道に移住した家族の一員である多喜二は、移住した開拓民や、飯場を転々とする労仂者、幼くて身売りされ売春を強要される女たちの悲惨な境遇をわがことのように描き、親方に連れられて転々する朝鮮人労仂者に対しても強い関心を抱いた。日本の労仂者は朝鮮人労仂者の低賃金が自分たちを脅かすとして、差別的、敵対的な態度をとりがちだったが、多喜二らはこのような偏見とたたかい、もっとも尖鋭に日本帝国主義と対立する朝鮮人労仂者とともにたたかうことの必要を説いた。
日本の労仂者・農民の悲惨な現実と、そのたたかいを描く多喜二らは日本の解放運動におそいかかる治安維持法の狂暴な弾圧とたたかわなければならなかった。多喜二はその生々しい弾圧と拷問の実態を描き出した「一九二八年三月十五日」からプロレタリア文学作家としての道をあるきはじめた。隠蔽された真実をまざまざと描き出すことこそ文学による国家権力に対するもっとも強力なたたかいであり、そのたたかいの故に多喜二らは苛酷な弾圧にさらされなければならなかった。彼らの作品は伏せ字だらけにされ、削除され、発禁になり、作者が検挙拘留され、拷問され、ついには虐殺されさえしたのだ。
治安維持法による犠牲者は、明らかな虐殺死80人、拷問・ 虐待が原因で獄死114 人、病気その他の理由による獄死1,503 人、逮捕後の送検者数75,681人、未送検者数数十万人におよぶと治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査結果は伝えている。
しかし、治安維持法の嵐は朝鮮人にはさらにはげしく吹き荒れた。日本人で死刑になったものはいないが、朝鮮では死刑が19人、日本の無期懲役は一人だが朝鮮では38人という有様だ。
同志社大学に在学中の尹東柱(ユンドンジュ)は祖国を思う美しい詩を書く詩人だったが、友人に朝鮮語・朝鮮史の勉強を勧めたり、朝鮮独立の必要性を訴え、また朝鮮文化の尊重、朝鮮文学における民族的幸福の追求などを主張するなどしたため独立運動の嫌疑で1943年に逮捕され、1945年に福岡の刑務所で獄死した。韓国では国民詩人としてたたえられ、朝鮮(共和国)での評価も高いようだ。(ウィキペディアの記事を参照した。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B9%E6%9D%B1%E6%9F%B1
朝鮮語辞典編纂委員の一人が、かつて教えていた女学校の生徒の日記の件で警察から召喚を受け、検挙され、拷問され、朝鮮語学会が民族主義運動団体であるとの「自白」を強要された。この自白によって、1942年10月1日から1943年3月6日の間に朝鮮語学会員29名が検挙され、さらに1943年4月半ばに16名が起訴され、獄中で二人が死亡するという事件もあった。
http://www.jm.kansai-u.ac.jp/PLSQLApp/plsql_c/KENSAKU_GYOUSEKI?Hidden_ID=%60%3E%3E%3E--%60~&WORD_FLG=0&GYOUSEKI_NO=46&Page_Flg=0&Par_OrderF=1&SerchType=K&AccCount=&Acc_Num=48
苛酷な弾圧に抗してたたかう多喜二の文学、特に「一九二八年三月十五日」「党生活者」に、はげしい民主化運動をたたかった人々は強い関心を寄せている。しかし、その関心は日帝時代に対する歴史的認識の問題にとどまるものではなく、自らが経験した民主化闘争時代の軍事政権による弾圧、残虐な拷問の経験、いま現にアフガンのバグラム基地やイラクのアブ・グレイブで行われている残虐な捕虜虐待の事実と重ね合わされているように思われる。
韓国では「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」のハングル訳が『蟹工船』として1987年に出版されている。この翻訳、出版の経緯は「しんぶん赤旗」(2007年9月19日)の茶谷十六さんの記事にくわしいが、訳者李貴源氏は歴史学を専攻し全斗煥軍事独裁政権に反対する民主化闘争に参加した。民主主義運動の歴史や理論を学ぶために日本の書物を取り寄せて読む中で小林多喜二に出会った。李貴源さんは「一九二八年三月十五日」に描かれている弾圧・拷問のありさまは、韓国の現実そのものであり、「党生活者」は民主化運動に携わる自分かちの姿とそのまま重なってもっとも感銘深かったと語っている。
今度の訪問で李貴源さんに会いたかったが、なにぶん全州は釜山から遠く離れているので果たさなかった。しかし、私の本の訳者の金正勲さんから、古書店で購入したハングル版『蟹工船』を見せてもらうことができた。どんな人が読んだのかわからないが、「党生活者」の困難な運動を描いた部分、強い決意を示した部分にアンダーラインがほどこされていて、この読者も民主化闘争に参加しているか、もしくはそれに強い関心をもっている人だと思われた。ハングル版『蟹工船』がこのように訳され、このように読まれていることに私は感動した。韓国では多喜二はいまも生きているのだ。
私の本の訳者の金さんも光州の出身で、1980年の5・18光州民衆抗争に参加したことを誇りに思っていた。全南科学大学日本研究所の金さんの共同研究者で、私を光州民衆抗争記念聖地に案内してくれた朴勝源さんは、当時、光州事件の発端になった朝鮮大学の学生で、1980年5月18日未明に大学構内で検束された経験ヲ私に語った。
アブ・グレイブの捕虜虐待は、小林多喜二らを無法に逮捕し、拷問したあの治安維持法下の日本を思わせる。その捕虜たちは突如闖入した米兵に、ほとんど証拠もなしに、テロリスト、もしくはテロリストと関係があると疑われて拘束されたのだという。戦時であるという理由で、そしてイラク人であるという理由で、人権が蹂躙される。米本国でもアラブ系移民や留学生に対して同様の無法な取り調べがなされたと伝えられている。何よりも、あのアフガン攻撃、そしてイラク戦争が、結局無法ないいがかりをつけて始められた無法な戦争だった。<本文1章から(52ページ)>
金さんは「訳者の言葉」で、私の本からこの言葉を引用し、「日本軍国主義の戦争時代、国家権力と天皇絶対主義に向かって闘争した多喜二の精神は、今の時代を生きる若者に再び蘇るだろうか。」と述べている。金さんは多喜二の時代と軍事政権の時代の権力による暴圧、アフガン・イラクにおける米軍の暴行に共通のものを見て、多喜二の文学を時代と民族を超えた広い視野から見ているのだと思う。
(ホームページの掲示板 漱石の広場)
http://www2.ezbbs.net/37/tiznif/
軍事政権の暴圧に抗してたたかった民衆のたたかいは金大中大統領を生み、南北の融和と統合、平和と民主主義に大きな前進を実現した。これを受け継ぐ盧武鉉大統領を実現したのは60年代生れで80年代に大学生として民主化闘争をたたかった六・八・三世代だった。しかしいま、経済政策の失敗や北への過大な融和政策を理由にハンナラ党が勢力を拡大し、今度の大統領選挙では盧武鉉政権の与党が不利だととの情報がしきりに流れている。金正勲さんはもし保守党が勝てば、金大中以前に戻ると心配していた。しかし、6カ国協議の進展、南北首脳会談の成功は、南北の平和的統合と民主主義の発展に道を開くのではないか。
韓国の連合通信は「日本階級主義の作家小林多喜二を読む」と題して金さんの訳書が刊行されたことを伝え、「日本階級主義の作家の作品や批評書があまりない韓国で、現代的視点から見た本格的な批評書が刊行されたという点から読者の関心を引いている。」「そこには絶対権力に立ち向かった小林多喜二の時代精神、自由と平和運動を身をもって実践した作者の文学世界がそのまま刻み込まれている。」と述べて、この書評は全国各紙に掲載された。
(ホームページの掲示板 漱石の広場)
http://www2.ezbbs.net/37/tiznif/
日本でも参議院選挙で自民党が大敗し、新しい動きが見えて来た。毎日新聞の10月13日大阪夕刊の憂楽帳は「格差社会」と題して、『すばる』7月号のプロレタリア文学特集を紹介し、韓国で金さんの訳書が刊行されたことを伝えて、「大正末期から昭和初期にかけ隆盛をきわめたプロレタリア文学は、貧困、差別、階級社会などを素材にする作品が多かった。文学は時代を映す鏡。「若年ホームレス」「格差社会」などの言葉があふれる中で、「現代版プロレタリア文学」誕生の兆しがほの見えるようだ。」と記している。このようなコラムが書かれること自体が新しい時代のはじまりを告げるもののようだ。
韓国日本語文学会の翌日は、光州の5・18民衆抗争聖地を訪れた。民主化闘争の犠牲者の墓が建ち並ぶ墓地ではあらためて闘争の苛酷さを思い、心からの敬意を捧げた。光州はまた金大中前大統領の出身地で、新しく金大中コンベンションホールが建てられ、その一角に金大中記念館が設けられて、記念品や写真などが展示されていた。民主化闘争の拠点として韓国人が崇敬する光州で韓国滞在の3日間を過ごしたことはながく私の「こころ」に残るだろう。
韓国から帰国してしばらく疲れが残ったが、秋らしい気候のせいもあって、ようやく元気を回復することができた。みなさんもいろいろご活動のことと思う。お元気でお過ごしください。







